岡留(おかどめ) 恒健(こうけん)

1934年 福岡県福岡市に生まれる。
全国高校テニス3冠優勝 (単・複・高校対抗)。
全日本学生テニス単優勝。
福岡高校の時の優勝楯など。

1956〜1957年、テニスのデビスカップ日本代表。
1957年のデビスカップチーム(右から2番目)。

試合風景

慶応義塾大学卒。
日本航空に地上職で入社、5年後に熱望し操縦士に転向。
機長としての飛行時間14000時間、総計飛行約17000時間。

出発前に飛行機の前で

日本航空を通じて約30年、ユニセフ普及に従事。
日本ユニセフ元評議員。
夢みるこども基金元理事。

日本航空がユニセフ支援目的で「世界フィルハーモニックオーケストラ」を東京に呼んだ (1987)。
その演奏会でユニセフの子どもたちの為に素敵なスピーチをしたヘプバーンさんをロンドンへ送る操縦席にて。
ユニセフマークを付けた日本航空の飛行機が世界を飛び回るという私の夢の話を、彼女はとても喜んでくれた。
ヘプバーンさんはこの後ユニセフ親善大使になった (1989)。

日航機にユニセフマークがついた。ユニセフと日本航空の絆を悦ぶ私。

ユニセフ事務局長グラントさん(1995歿)が、ユニセフの子どもたちに代わり、がん病床で私に書いた手紙が、手渡しで届いた。心の温かい、優しい人だった。
今まで得たどんな賞よりも、私はこの手紙が一番嬉しい。

写真中央;私を「戦友」と呼んで応援してくれた社長。

1986年 エベレスト登山、8000mまで、酸素ボンベは不使用。
エベレストサウスコルにて独りボっち。月に置き去りになった気持ち。

人はなぜ高い山に登るのだろう?命の皆無に近いエベレストサウスコルでの孤独の中、考えていたら「海の底から高い山まで命には連帯して生命圏を広げようとする本能がある」、との想いが心に浮かんだ。

エベレスト7300mにて

エベレスト沈黙の谷にて

ラストフライトの機長席にて;空は私に幸せな人生を与えてくれた。

家の窓から見える富士山

現在、美しい山々に囲まれた山梨県北杜市に住む。
写真;妻と私の、家の窓から見える山々。

自然とは事象が循環する姿。
水とみどりと命豊かな地球の循環の中に命の幸せがある。命は循環そのもの。命に善いものは美しく見える。

甲斐駒ケ岳

窓から見る鳳凰三山

八ヶ岳;妻の部屋から